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言葉にしてみる日記

日頃考えていることや感じたことを言語化するために書いているブログです。

「教育」に対するマインドセット

大学職員で現在大学院で高等教育を学ばれている松宮慎治さんのこのポストがたいへん興味深く、考えさせられたので、記事にしてみました。

 

shinnji28.hatenablog.com

 

松宮さんは、「自分が何を為すべきか」を考える際のアプローチとして、「身分アプローチ」と「仕事アプローチ」の2つに整理します。


身分アプローチは、「自分がどの身分に属しているか」を起点とする考え方であり、仕事アプローチは、「私たちはこういう仕事(行為)をしたい」という思いを起点にした考え方です。

 

この二つのアプローチ自体はとても共感できる違いであるし、たいへん興味深い指摘だなと思いました。

 

ちょっと強引ですが、思考実験として、「教育」というものを「学生の学びに関わる行為」、「医療行為」と比較しながら考えてみたら面白いと思いましたが、仕事の休み時間では間に合わなそうなので、論点整理だけやっておきたいと思います。

 

「学生の学びに関わる行為」:「身分アプローチ」にかかわらず、きわめてその行為としては多様な関わり方がある。教室内で教授活動に従事する大学教員はもちろん、ボランティア活動を支援する大学職員も正課外活動ではあるが、学生の学びに大いに貢献できる。はたまた、教育学習環境を支援するという観点から見ると、普段、学生と接することのない総務課や会計課、施設課で働く職員も、自らの行為が学生の学びに関わっているとみなすことは可能である。

 

「医療行為」:医療行為は、医師免許、歯科医師免許、看護師免許、助産師免許等の資格を有した医療従事者のみに特別に許される。いわば、厳格な「身分アプローチ」であり、患者さんを助けたいという思いがあっても、無資格者がそれを行った場合には法的に処分を受けるおそれがある。

 

というわけで、「教育」がいったいどちらに近いものかということになるのかなぁと思いました。

 

結局は、「教育」を「学習者に教授する活動」とかなり限定的に捉えるか、「学習者の学習を促進させる活動」と捉えるかでもだいぶとらえ方が異なるのかなぁと。

 

私自身は、教育学の修士をとって、大学職員として働いてはいますが、案外、職員側の認識として「教育は、大学教員が行うこと」、「事務職員は、事務を行う」というマインドセットが強いなという印象を受けます。

 

「事務しかできない大学職員」って今後はどんどん不要(代替可能という意味で)になっていくのでは、という思いがあるので、少し釈然としないのですが、いかんせん組織上「事務職員」という身分ですので仕方がないですね。

「とりあえずたたき台を作ってください」

大学関係 日記

【使い方】
「じゃあ、次回の会議までにとりあえず案がほしいから事務方でたたき台を作ってください。」


【意味】
委員会等の会議体において、会議の場で意見を言い合い、まとめていくという重要な仕事を委員自身が行うつもりがないときに発するキラーパス。たまに、委員が意見を出せないことを前提にして、まず、事務担当者にはなからたたき台の作成を依頼する委員長が存在しており、問題をさらに深刻化させる。

最悪の場合、これが原因で例えば「導入推進案のたたき台」と「導入慎重案のたたき台」という二つのたたき台を事務方が作成することもある。両論併記は、結論としてはあるが、たたき台の時点で両論をつくるというのは、おそろしく骨の折れる作業である。

また、二つの案を事務方が予め作成しないといけないことから明らかであるが、この言葉が使われる場合は、根幹となる「全体的な方向性」が示されないことがほとんどである。

委員会の会議の場で、事務担当者が作成した「たたき台」が委員の多様な厳しい目によってしっかりと叩かれ、より良い内容に磨きをかけられれば、まだマシであるが、「たたき台」がほとんど叩かれずにスルーされるか、場合によっては、叩かれないのに何となく「これらとは違う第3の案もみたい」という謎の提案が行われることもあり、時間と事務担当者の士気が失われることになる。

また、委員によるチェックがなされず、事務担当者の原案がそのままスルーされて承認された案件が、さらに上位の会議体での審議において、部局長クラスの厳しい目にさらされ、めちゃくちゃに叩かれることもあるが、そのときの委員長の対応として「原案の作成過程で事務方の作成した資料に致命的なミスがありました。代わりにお詫びいたします。」という「大将の寝返り行為」が発生するおそれもあるので、要注意である。

 

CPUを単体で購入

大学関係 日記

【使い方】
「先生、なんでコンピュータのCPUを単体で購入してるんですか?」

 

【意味】
パソコンにたいして詳しくない教員が購入したパソコンのパーツについて、長年の経験と勘から発せられる会計担当者の一言。伝票の数字が10万円を切るかどうかの状況下で発生することが多い。


「なぜ」という言葉を使っているが、ほぼほぼ結論が見えている、あと2、3手で「詰み」の段階である。

 

ただし、理工系の教員やパソコン好きの教員には、この言葉に対して理路整然と(むしろ説明過剰に)回答できる強者もおり、会計担当者が返り討ちにあるケースもたまにある。

 
※「CPU」のほかにも、「マザーボード」、「ディスプレイ」、「OS」、「Microsoft officeなどのソフトウエア」、「メモリ」でも用いられる。

 

「この仕事、事務の仕事ではありません」

大学関係 日記
【使い方】
「先生、地域とのコーディネートなんて仕事、事務の仕事ではありません!」

【意味】
本当は「この仕事は、自分(達)にはできません」という逃げ口上だが、組織の職務や役割を限定的に定義して、そこから外れていることをアピールする断り文句。

実際にその仕事をやってもないのに使われることが多い。いわゆる「できない理由をさがす」行為。

また、自分達の仕事の「省力化」、「スリム化」を行うときに用いられることが多い。ただし、その結果、どこかのだれかがその仕事を請け負うことになるため、部分最適化を目指す行為が全体最適の実現を阻む典型例といえる。

なお、この「事務」の部分には、部署名(例:人事課、施設課、監査室)が入ることも多い。

「再生」タイプのグループワーク

日記 大学関係

先日、とあるイベントでグループワークを体験してきました。講演を聞いて、その後、4、5人でグループをつくり、課題と解決策を話し合って提案にまとめるという流れです。

 
課題と解決策を話し合う際に用いられたツールが、マインドマップでした。
 
マインドマップという手法は知ってはいましたが、はじめてやってみるということになり、ちょっと楽しみにしていました。
 
 

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こちらは、そのイベントではなく自宅で改めてやってみたもの。テーマは、「わかるって何?」を新たに考えてみました。はじめてなので、「キーワードが長い」や「もう少しカラフルにしなきゃ」、といったご指摘はそのとおりです。
 
 
参加者はその場ではじめて出会った人ばかりなので、自己紹介までは少し緊張感がありましたが、その後は割りと自然体で話し合うことができました。
 
というわけで、全くもって不満だというわけではありません。むしろ、グループ内のまとめ役をやってもらった人や私たちとは異なる立場から違った見方を示してくれる方、その他全員の貢献により、きちんと結論まで至ることができました。ただ、少しだけ気になったことが、タイトルにある「再生」タイプのグループワークだなあ、という思いです。
 
「再生」タイプというのは、私が名付けたものです。簡単にいえば、参加者各々が「知っている」、「わかっている」、「説明できる」事柄を、他者に伝える(=「再生する」)ことが対話の中心となるグループワークです。
 
例えば、「こんな課題がありました」、「こんな問題の原因はこうだと思います」、「こういう経験をしたことがあります」というような、「自分の認識」を他者に「再生」しようとする話し方といえば分かりやすいでしょうか。
 
このタイプのグループワークは、お互いに「知っている」、「わかっている」、「説明できる」事柄を相手にきちんと伝えることが大切なので、会話のやりとりは比較的活発化するのではないかと予想しています。
 
『実は、あんなことやこんなことがありました。』
『私も、似たようなこんなことがありました。』
『そうですね、こういうことも説明できそうですね。』
『それって、心理学では○○っていうらしいですよ。』というようなやりとりが繰り広げられると思います。
 
このタイプの会話がよくないというわけではなく、個人的には、せっかくグループワークをするのだから、グループでは、知らないこと、(簡単には)わからないこと、(うまく)説明できないことを取り上げて、参加者に、これまでの自分を見つめ直しつつ、他者の考えや発言に耳を傾けて、認識を新たにするという機会をつくってはどうかと考えています。
 
最近、参加するグループワークの多くが、①課題発見、②課題の分析と解決方法の検討、③課題と解決方法の提案(プレゼン)をコンパクトに半日ないし1日で行うというものが多い気がしますが、参加者の学びの質として、お互いに「知っている」、「わかっている」、「説明できる」事柄を話し合うことは、情報交換や意見交換になり得ても、お互いに学習し合うことにつながっているのか、という疑問があります。
 
実施報告のことを考えると、「見える化」するということは確かに大切なことではありますが、参加者同士が「落としどころ」を探って話し合う場になっているとすれば、とても残念だなぁと思います。
 
考えに考えたあげくうまく答えにまとめきれなかったということも現実にはありうるし、むしろ、現実の問題解決場面では、そちらのケースが多いかなとも思います。
 
わからないことを考え抜くプロセスを経たグループの学習者と、落としどころを見つけて対話が進行したグループの学習者との間で、その学びにどのような質的な差異があるかは興味深いですね。
 
 
※「再生」タイプの特徴は、参加者1人にとって、いわゆる「内化」よりも「外化」に重きを置いたグループワークを指します。こう名付けたのは、対話のやりとりは活発でアクティブですが、参加者にとって、既有の知識体系の見直し(概念変化、学びほぐし)の必要に迫られることはないという意味で、認知過程がアクティブとは言えないというニュアンスを示したかったからです。
 
 
 
 

【自分用】着想ノート

SD・FD 日記

現在、大学職員の能力開発(Staff Development)に興味を持っています。

イデアを書き出してみるというこのブログの本来の用途のためにつらつらを書き連ねていきます。
 
【大学職員の専門性・役割について】
・いろいろなセミナーやフォーラムで大学職員の講演・発表を聞いたり、資料を読んだりしていると、「大学職員として働いている(働いてきた)私の専門性」と「一般名詞としての『大学職員』に求められる専門性」がどうも区別されずに用いられている印象を受ける。
・「専門性」についても、「specialist」と「professional」の二つの意味が混同されて用いられている印象を受ける。
・「総合診療医」や「ホテルのコンシェルジュ」といった職業人に求められる専門性と比較して、大学職員の専門性はどう捉えられるか。
 
 
【"development"について】
・developmentの主体としての職員(学び手)に焦点を当て、学び手と環境との関係性や相互作用による学び手の変容を個人レベルでの「development」として定義してみてはどうか。
・制度やシステムについては、学び手にとっての環境として位置付けて、学び手への働きかけを考える。
アフォーダンス理論が何らかの示唆を与えてくれそう。例えば、「人としての学び」を、例えば、「登山家の学び」や「サーファーの学び」、「寿司職人の学び」、「棋士の学び」、「学校教育(大学教育を含む)での学び」を事例として取り上げて考察したうえで、「大学職員としての学び」を考えると良いかも知れない。
・「個人」・「集団」・「組織」の3つのレベルで、 総合的に「development」を考えてはどうか。
 
 
 

本当に素朴な「労働組合」に対する疑問

日記

中学生レベルの本当に素朴な疑問なので、これをご覧になった方はあきれてしまうかと思いますが、このばからしい疑問におつきあいいただける方がいらっしゃったら幸いです。

 

前々から思っていたことですが、労働組合反戦平和や民主主義、原発反対といったあまり関係のない事象に対する運動を積極的に行うことで、一般の労働者が労働組合に入りづらくなり、結果として組織率が下がっているのではないかと考えています。

 

例えば、

反戦平和だとか、民主主義だとか、原発反対だとか労働者の処遇の改善に直接的に関わりのない事象には口を出さない。
・きちんと働いた者には対価としての給与が支払われ、実力に応じて適切に評価されて、適切なポストに就くことができることを要求する。
・「年功序列賃金」や「横並びの平等主義」は撤廃し、実力に応じた公平な給与体系・昇任システムを確立することを、経営陣と協力して形づくっていく。

 

ということを主張する労働組合であれば、私は何の抵抗もなくその労働組合に加入しようとすると思うんですが、世の中の労働組合がそういう主張をしないということは、そんな単純な話じゃないってことなのでしょうか。

 

中学生の社会科の授業を受けて、「なぜ?」と思っていたのですが、未だに納得できる回答に出会ったことがありません。

 

blog.goo.ne.jp

 

労働組合がなぜ、反戦平和なのでしょう? - United Workers Will Never Be Defeated! - 全国一般労働組合東京南部

 

otsu.cocolog-nifty.com

 

「我が国が平和じゃないとそもそも労働者にとって働ける環境にならないから」というのは、あまりにも当たり前過ぎて、「腑に落ちない」という状況です。