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言葉にしてみる日記

日頃考えていることや感じたことを言語化するために書いているブログです。

国立大学における教員養成系・人文社会科学系の組織の見直しについて

文部科学省のホームページで国立大学法人評価委員会(第51回)の配付資料が公表されました。

このうち、「国立大学法人の第2期中期目標期間終了時における組織及び業務全般の見直しについて(案)」において、「ミッションの再定義」を踏まえた速やかな組織改革の必要性が指摘され、とりわけ教員養成系や人文社会科学系の学部・大学院については、

特に教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、18歳人口の減少や人材需要、教育研究水準の確保、国立大学としての役割等を踏まえた組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めることとする。

と取り組むべき内容が明示されています。

また、「文部科学大臣が行う国立大学法人等の第3期中期目標・中期計画の素案の修正等について(案)」において、文部科学大臣国立大学法人が作成した原案について修正を求めることとする対象を次のように定めています。

(1) 国立大学法人法等の法律改正を要する事項など、文部科学大臣限りでは実施することができないため、文部科学大臣として中期目標に記載することにより責任をもって大学にその実施を求めることができない記述の修正
(2) 財政上の観点から修正の必要がある記述に関する修正・追加
(3) 「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて(通知)」に示した内容にかんがみ修正等の必要があるもの
(4) 法令違反又は社会通念上著しく妥当性を欠くと認められる記述の修正

これによって、教員養成系や人文社会系の学部・大学院を有する国立大学法人は、いよいよ自らの組織の見直しの具体的な内容を中期目標・中期計画において定めることになるわけです。

 

 

教員養成系や人文社会系の組織の見直しについては、昨年、「国立大学法人の組織及び業務全般の見直しに関する視点(案)」が公表された際に、その分野の研究者に少なからぬショックを与えました。

hibi.hatenadiary.jp

blog.goo.ne.jp

 

これらのブログの主張を読むと、「人文社会科学系は、こういう学術的価値があるので社会にとって必要不可欠だ」というものが多いようですが、個人的には、このような主張と、財務省文部科学省が問題視していることとはズレがあるように思います。

この記事は、第1期中期目標期間の2008年に行われた藤城 眞氏と玉井克哉氏による対談です。ちょっと古いと思われますが、内容としてはこれまでの大学改革で問われた論点が色々と議論されており、今でも十分に読み応えのあるものとなっています。
「対談のポイント」を引用しておきますが、ぜひ本文をご覧ください。

対談のポイント

1. 高等教育予算について

  • 日本の財政状況が厳しい中では、予算を大幅に増やすということは容易ではない。高等教育予算についても、研究の評価等を踏まえるとともに、社会の流れや時代の要請にマッチしなくなってきた分野から、ニーズが増加している分野に資金を移していくといった、効率的・効果的な資源配分を考えることが必要。
  • ヨーロッパ並に高等教育に公費を投ずるべきという論者は、OECDで最低水準にある我が国の国民負担(租税+社会保障負担)を引き上げるべきか、大学教育の受益者負担のあり方をどうするか(税を通じて、受益者でない人にも負担を求めるべきか)などについて、よく議論しなければならないのではないか。


2. 大学の機能別分化について

  • 教育・研究水準のためには、内外の競争的環境をもっと確保し、国民的議論を行い、厳格な評価を行うという前提で、各々の大学が自ら目指すコンセプトを明確化し、中期目標を具体化する必要がある。研究と教育をある程度二分化していく必要がある。


3. 評価について

  • 研究力も弱く、教育目標も明確でないところに漠然とお金を配分することは困難である。国費を投入する以上、こういう理由があるという説明責任が必要。研究や教育の重要性を評価し、適切な優先順位を設け全体の配分を考えていくべき。
  • 評価に基づいて資源配分するとなると、辻褄をあわせるのがうまいところが高い評価を得るという危険性がある。この点では、複数の専門家による分野別の評価が必要である。


4. 大学のガバナンスについて

  • 教授たちの選挙で学長が決まり、その人が経営のトップになるという仕組みでは、トップが従業員を気にするといったバイアスがかかるおそれのある組織になる。理事長と学長を分離するという選択もある。

この対談を読むと、大学関係者が「大学はこれだけ大切な研究を行っている」と予算の拡充を求めている一方で、それに見合うだけの、社会に有為な人材の育成という成果をきちんと出していないのではないか、あるいは、そもそもそういう意識が希薄なのではないかという思いに駆られます。

 

さて、最後に東京大学中原淳氏のブログにたいへん興味深い記事を見つけましたので、ご紹介します。

NAKAHARA-LAB.NET 東京大学 中原淳研究室 - 大人の学びを科学する: もし「自分の研究」が、ある日、突然「なくなってしまった」としたら!? : 誰にどんな価値を届けるのか?というデリバラブル発想のこと

 「四六時中、デリバラブル視点にたっている」と、ちょっとブルーになってしまうところもあるのですが、時には、折りに触れて、人は「デリバラブル視点」で、自分の仕事や周囲を見直すことも、大切なことかもしれません。
 なぜなら、人は、日常の雑事にまみれているあいだに、ほおっておけば、おのずから「ドゥアブル視点」に陥っていくからです。

 わたしは、こんなにやっている
 わたしは、こんなに働いている
 わたしは、こんなに動いている

 日常の雑事にまみれている間に、ついつい、こうした行動項目をあげつらい、披露したくなるものです。「わたしはこんなにやっている」。「こんなにやっているのに」「こんなに働いているのに」

 しかし、そこで見落とされるのは、

 それで誰に付加価値をお届けしているのか?
 であり
 それで何が変わるのか?

 ということです。

上記の記事で紹介されている「デリバラブル視点」はとても大切な考え方ではないでしょうか。

私自身余裕がないときは、どうしても「自分はこれだけ頑張っている」と思いがちですが、時には「その頑張りが誰かにどんな変化を与えているか」ということを考えながら自分の仕事に取り組みたいと思います。

 

(追記 2015/06/08)

その後、国立大学の教員養成について別途記事を作成しています。

 

masterpiece0924.hatenablog.com