言葉にしてみる日記

日頃考えていることや感じたことを言語化するために書いているブログです。

世界は誰かの仕事でできている

今年も科研費の奨励研究に応募してみることにしました。

 

異動して業務が変わったこともあり、問題意識すらほとんどまとまっていませんが、今月末が学内締め切りなので、何とかネタを出していこうと思います。

 

奨励研究に出すというと、「研究者にでもなりたいの?」と言われることもありますが、決してそうではありません。

 

「自分語り」をすると、私は、幼少期から色んなことに興味を持つものの、飽きっぽく、一つのことに根気強く取り組むことは苦手でした。

 

特定の物事にひたすらに取り組む「マニア」にはなりたくないという思いがあって、大学運営に関して色々な分野を広く、浅く取り組める大学職員という仕事は、合っていると感じています。

 

 

 

 

さて、タイトルは、ちょっと前の缶コーヒーのCMのキャッチコピーで、いいこと言うなあと印象に残っている言葉です。

 

最近、大学運営における「教職協働」の重要性がさかんに叫ばれていますが、なかなか現実にはうまく回ってないんじゃないかと思っています。

 

「教職協働」という言葉が使われるときの状況を考えると、教員サイドの、「雑用」を学内の誰かに肩代わりさせたいという本音と、事務サイドの、事務職員の地位を高めて、大学運営における意思決定に積極的に関わりたいという本音がそれぞれ透けて見えます。

 

 

大学にいると、「この仕事は自分にしかできない」、「私なしにこの組織は成り立たない」という尊大な台詞を耳にすることがあります。また、「こんな仕事は、私がするものじゃない」という台詞を聞くことがあります。

 

たいていの場合、それは思い上がりで、「自分」がいなくなって一時的に混乱しても、次第に誰かによってうまく回るようになるだろうし、ましてや「自分」がひとりこの世からいなくなったぐらいで組織がつぶれることはほんどないと思います。

 

むしろ、自分がやらない仕事を誰かがやってくれているから、全体として組織がうまく回っているということに気づかないのはとても残念です。

 

「組織の歯車」や「組織の駒」になることを善しとしない雰囲気もあるようですが、個人的には、肩肘張らずに、個々の構成員は互いにそれと気づかないけれど、全体としてうまく役割分担ができているというような組織が働きやすいかもしれないなと思います。